IQ
100人200人の調査ならば、まぁ偶然の差かなと思える違いがある。
しかし2億人の人間がいたとして、その2億人が、ほぼ同じ環境にいる300万人のグループにトップ層だけ見て勝てなければ、遺伝的要素を考慮する価値はあるだろう。研究もまた投資なので、面白い結果になることもあれば、面白くない結果になることもあるが、この場合はどっちに目が出ても話題にはなる。
平均に僅かな差があっても、トップレベルでは大きな違いを生むこともある。
また、(遺伝的な原因から)標準偏差が異なるグループがあり、とんでもないバカもいれば、とんでもないカシコもいるというグループもありえる。
フリン効果の与えるイメージは、同じ民族グループであっても、文化の違いによって30ポイントくらい上がることもありえるということだ。
つまりサブサハラ・アフリカの人々が、今IQ70くらいであったとしても、今後100くらいにはなるかもしれない……ならないかもしれないが、希望はゼロではない。
人種は実在することや、IQの実在を否定する人は、どうも文化的に存在論というのを誤って認識している。
種が実在するかどうかは、実在の定義によるとしか言えないだろう。我々は実在という言葉を使わないようにするのは困難なので、定義の方をかえるべきだ。
そうなると、犬や魚や貨幣やGDPやIQや生物種も実在することになるが、代わりに人種の実在性についても浮かび上がるだろう。
サブカテゴリとして人種を捉えるのは構わないと思うし、どこまでを区切るかも異論はあるだろうが、インド人と中国人か異なる程度には役に立つだろう。