ナイーブ・リベラル側の問題外の議論
ナイーブ・リベラル側の問題外の議論として
・人種は完全に社会的に構築されたもので、埼玉県民と愛知県民程度の違いでしかない。
・皮膚の違いに過ぎず、皮膚より下はなんの違いもない。認知能力や運動能力の違いは学習によるものである。
・人種間の違いは、個人間の違いよりも小さいので、人種による違いはないと結論できる(注意!・これはリベラルの間で有名な誤った議論。塩基配列の違いと遺伝子の違いを同じとみなしている)
・運動能力の違いも含めて、それらは環境によるものである。
・運動能力の違いは認めるが、認知能力には「まったく」違いは見られない。つまり違いが検出されない。
・認知能力に「僅かな」違いは見られたとしても、環境によってカバーでき、それ故に人口比と同程度の優れた科学者が生まれる。もし生まれなければそれは差別によるもの。
(注意!・これも誤った議論。仮に2つのグループの分布が同じ程度だったしても、僅かな平均の差が、トップレベルの差に違いを生む可能性がある)
・認知能力には「まったく」違いは見られないが、その代わり気質が違う。気質が違うのである特定分野には興味を示しやすく、別の分野には無関心である。