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英語の第二公用語化について

時折僕は、こう思うことがある。

なぜ明治政府は英語を公用語にしなかったのか。あるいはGHQでもいい。誰かしら日本の歴史において、ここぞというタイミングで公用語に英語を入れておいてくれれば、後世を生きる僕らはこんな目に合わずに済んだのだ。

英語なんてもの、使いもしなければ、負担にしかならない。いざ大学に入り、英語の論文を読むにあたっても、ネイティブたちの圧倒的優越を尻目に、生まれたての子牛のように危うい足取り。なぜ我々日本人は余計な苦労をしなきゃいけないのか?

 

どうも英語教育というのは、何かが間違っているようだ。

もしかしたら、中学(または小学)からやれば、ネイティブの20%ぐらいの英語会話能力がつくと思っているのかもしれない。

御存知の通り、たいていの高卒は20%なんて遥か高みだ。

そして大いなる問題は、英語というものが学校の独立した教科として多大な勉強コストを要するにも関わらず、まるで身につかないということだ。

これは到底いい投資ではない。とびきりダメな投資だ。

「英語の時間に別の教科をやった方がいいんじゃない?」という気にもなる。

 

 

英語を第二公用語にすべきなのだ。中途半端な、どっちつかずの、日本社会的に英語なんか使わなくていいけど、でも子供たちはちゃんと身につけてね、なんて虫のいい話はない。

どうも僕はこう思ってしまう。為政者は自分が英語の勉強する気はないし、そんな面倒しなくないと思っているが、子供たちは身につけてねと要求しているのではないか。

(まるで自分は働きたくないけど、お金貰えないかなぁと思うのに似ている)

 

この逆の話はある。ルワンダだ。

ルワンダは伝統的にフランス語が話されていたが、為政者が英語話者ばかりだったので、ある時(2008年に)それまで関係無かったのに第二公用語に英語が加えられた。

ルワンダ人にとってはいい迷惑かもしれないが、長い目で見れば利益はあると僕は思っている。

 

僕はルワンダ人ではないので、これから英語の勉強をしていかなければならないし、日本の公用語問題についてあれこれ言った所で、僕が英語が話せない事実は変わりようもない。そして、とやかく言った所で日本の公用語が増えるなんて奇跡は今後数十年のうちには起こりえないと確信している。

ただ僕は今後も、英語の公用語化は支持するだろうし、運動があれば賛成したい。

教育はいつも、すぐには返ってこない投資だ。長い道のりが待っている。